「食べられるばら」だからこそ、
育てる環境にもこだわりたい。
2007年から「食べられるばら」の栽培を始めました。人が気持ちよく過ごせる環境をばらにも与えようと、農薬を使わず有機肥料で栽培しているほか、人工の物質が入っていない山の湧水を使用しています。のびのびと育つように、露地栽培というのもこだわりです。ビニールをかぶせてしまうと、ばら本来の味や色がしないんですよ。最初は2~3本から始まった食用ばらの栽培も、今ではおよそ2ha8,000本を育てるまでになりました。元々は繊維業を営んでいたのですが、今では食用ばらを栽培するほど、ばらに魅せられてしまいました。その理由は、福山が持つばらのストーリーです。
ひとつの庭園から始まった「ばら」の歴史。
福山のばらの歴史は、1945年8月8日の福山空襲がきっかけだということは、福山の方ならよくご存知ですよね。なぜばらなのか?私が30代の頃、「中村金二さんが戦後、自宅にばら園をつくった」という記事を見つけました。それから中村さんのご家族に話を伺いました。
1949年、中村さんが横浜で開催された博覧会できれいなばらを見つけました。翌年、自宅庭園に30本のばらを植え、年々増やしてこられたそうです。当時,福山でばらを植えているところはなかったとか。あまりにきれいなばらの庭園に、市民は驚きそして心の癒しにもなったそうです。
1954年に中村さんは亡くなってしまいましたが、ばら園は引き継がれました。こうしたこともあり1956年春、『戦災で荒廃した街に潤いを与え、人々の心に和らぎを取り戻そう』と、今のばら公園付近の人々が1000本のばらを植えました。そこからは、皆さんがご存知のとおりです。この中村さんの庭園がなければ、福山のばらの歴史はなかったかもしれないと思っているんです。一人の方の庭園から始まった福山のばらの物語は、どの地域も決して真似することができないものです。