福山城築城を祝して始まった福山とんど祭りの歴史
水野勝成が福山城を開城した後、1623年に築城と城主の入城を祝して36基のとんどを作って城下町を練り歩いたのが、福山のとんど祭りの始まりです。勝成公は特に吉津町の「鶴亀」、上魚屋町の「懸け鯛」、笠岡町の「諌鼓鶏」、船町の「宝船」、下魚屋町の「三方に伊勢海老」という飾りを褒めたので、以来400年間にわたってこの5町は同じ意匠を作り続けてきました。
竹のてっぺんには意匠を凝らした豪華な飾りをつけ、とんど音頭を歌いながら練り歩く様は、日本一勇壮華麗との呼び声も高かったそう。田んぼや公園に据え置きのとんどは珍しくありませんが、囃しながら町中を練り歩くのは福山だけの特色です。
東学区とんど実行委員会
委員長
島村 美郎さん(左)
福山市東交流館 館長
小川 勇さん(右)
400年の歴史を持つ福山とんど祭りが市民の力で復活
日本一勇壮華麗といわれた福山とんど祭りですが、道路事情など時代の流れに妨げられ、1970年を最後にその歴史は途絶えていました。
東学区では「子どもとおとなが一緒になって楽しめる祭りをしたい」との想いから、2003年に福山とんど祭りを復活。詳細な資料が残っていなかったため、まずは地域の先輩方にヒアリングし、勝成公から褒められた5つの古式とんどを再現。練り歩きには、警察から道路使用の許可を得る必要があるため、高さを3.8mに抑えて制作しています。
当初は東学区だけでしたが、市制施行100周年記念事業や福山城築城400年記念事業をきっかけに、市内中心部のまちづくり推進委員会に呼びかけ、現在では7学区が一緒になってとんど祭りを実施。冬の風物詩として、関係者が協力しながら継続してきました。
準備から当日まで、子どももおとなも心を一つに取り組む
東学区では約20年前にとんど祭りを復活させましたが、継続のためには地域の人々の力が欠かせません。毎年11月から3カ月間は、定期的に学区の住民が集まってとんどを制作。東学区の町内会連合会、体育会、東小学校PTA、子ども会育成協議会などのメンバーが中心となり、東小学校の児童たちも参加しています。山に竹などの材料を取りに行ったり、脱穀機で稲わらをさばくなど、普段はできない経験ばかり。福山とんど祭り当日の練り歩きは非常に盛り上がり、フィナーレの点火式は圧巻の迫力です。
制作過程から参加することで、他にはない感動や成功体験を子どもたちに与えられているのではないかと思っています。また、子どもたちがわが町を誇りに思い、地元を愛する心につながることを願っています。
大切なのは何より続けること。400年の長い歴史のうち、私たちはほんのわずかな一端を担わせてもらっているだけです。福山の誇りとして、より多くの人に参加していただき、次世代へとつないでいきたいです。